Sword of Genocide

 

 

 

 ぐちゃり、と音が響く。
 数瞬前まで人――――――母親だったモノが踏み潰され、肉塊に変わる音。

「………………っ…………!…………!!」

 声にならぬ悲鳴。異形のモノに犯される、幼馴染と妹。
 哄笑する男。
 そして――――――絶叫する、俺。

 

 日差しを感じ、目を開けると公園のベンチの上だった。
 …………昨日はここに寝たんだったか。
 周囲を見回すと、子供が俺と同じように向かいのベンチで寝ている以外、人はいないようだった。
 ……子供がこんなところで寝ているというのも妙な話だが。
 まぁ、俺もまだ未成年だから子供には違いない。
 浮浪児が寝場所に選んだのが俺と同じく公園のベンチだったというだけの、ただそれだけの話だ。
 …………さて、夜まで時間をつぶす必要がある。
 とりあえずこのままベンチでひなたぼっこでもしている事にしよう――――――。

 

 日が中天に差し掛かってくる頃。

「ねえ、お兄さん」

 ベンチに転がっていた俺に、誰かが声をかけてきた。
 …………しばらく前に、俺と同じようにベンチで寝ていた子供だった。
 呆けていた意識の中で、置きだしたその子供が忙しそうにあちこち歩き回っているのを認識していた事を思い出す。
 金髪のショートカットで、薄汚れたぶかぶかのコートに、これまた薄汚れたぶかぶかの帽子を目深にかぶっている。
 11、2歳ぐらいだろうか。中性的な顔立ちからは、男か女か判別しづらい。

「…………何か用か」
「お兄さん、お腹空いてる?」
「…………なんで」

 唐突な質問だった。

「お兄さん、ず〜〜っとここで寝てて何にも食べてないみたいだったから、お腹空いてるかと思って」
「…………そうか。まぁ、空いていないわけではないが」

 確か、最後に食ったのは2日前だったか。それほど空腹は感じてはいないが。
 まあ、食える時に食っておく方がいいだろう。くれると言うものを貰わない手はない。
 俺をだまして利益があるとも思えないし。

「あのね、八百屋のおばさんのところでお手伝いすると、ご飯が貰えるの。お兄さんも一緒にお手伝いしない?」

 …………タダでくれるわけではないらしかった。

「…………面倒だな」
「はたらかざるものくーべからず、なの」

 子供に説教されてしまった。
 たぶんちゃんと意味を理解していないような口調で。
 しかも、使いどころは正しい。

「…………別に俺を誘わなくても、一人でやればいいだろう」
「ご飯はみんなで食べると美味しいんだよ」

 朗らかに断言されてしまった。

「それにね、二人でやった方がお手伝いはかどって、おばさん喜ぶの。ボクとお兄さんはご飯食べられて嬉しいの。いい考えでしょ」

 そう言ってニコニコと笑っている。
 子供らしい善意に満ちた申し出だった。
 それが正しいと信じきっているような。

「…………まあ、他にやることも無いしな」

 ここでただ夜まで寝ているよりはいくらか建設的だろう。
 ベンチから腰を上げる。

「…………お前、名前は」
「ボク?ボクはね、美矢って言うんだよ。お兄さんは?」
「…………俺は、翼だ」
「んじゃ、行こっ、翼」

 そう言って、俺の手を引っ張る美矢。
 その前に一つ、聞いておきたい事があった。

「…………美矢。お前、女か?」
「ボクは男の子だよっ!」

 ぷぅっと頬を膨らませる美矢。
 それでも、楽しげに俺の手を引いていた。

 

「困ったねぇ、二人も来られてもねぇ」

 まあ、案の定と言うか八百屋のおばさんとやらは俺を雇うのを渋っているようだった。
 お人よしにも子供を雇ってみたら、余計なのまで来ればそりゃ困るだろう。

「おう、どうした!」

 ここの主人らしい、威勢の良さそうな……いかにも頑固親父風のおっさんが奥から出てきた。

「それがね……」

 おばさんが、主人に事情を説明する。

「生憎うちには何処の誰とも知らない連中に食わしてやれるほど余裕ねぇんだ、他所をあたんな!」

 案の定、そんな反応が返ってきた。
 仕方ないか。

「…………一人なら、雇えるな?」
「え?」

 俺の言葉に、間の抜けた声を返すおばさん。

「…………だから、こいつ一人を雇うのが元々の話なんだろう?なら、俺が消えて、こいつを雇って済む話だ。違うか?」
「ええまぁ……一人ぐらいなら、ねぇ……?」
「…………交渉成立、と。おっさんも、一度約束したもんを反故にするような男じゃないだろ?」
「…………けっ!俺も男だ、女房の勝手の事とはいえ、約束破るような真似はしねぇよ!」

 江戸っ子気質のおっさんも、納得したようだった。

「翼……」

 何か言おうとする美矢を制して。

「…………じゃあな、しっかり働けよ」

 俺はさっさとその場から立ち去った。

 

 3時。普通なら小腹が空いてくる頃か。
 俺は、公園に戻ってひなたぼっこを再開していた。
 美矢の奴はいまごろおやつでも貰っているんだろうか。
 なんとなく、それすら断って一生懸命働いているような気もする。
 なんとなく、だが。
 腰を上げ、繁華街へと足を向ける。

 

 しばらく後。
 俺は、「美味しい話がある」という女に連れられ、路地裏にやってきて…………
 ごつい体格の兄ちゃんと対峙していた。

「さて、人の女に手ぇ出すような奴には、慰謝料払ってもらわねぇとなぁ?それとも、治療代も上乗せするかい?」

 …………だ、そうだ。
 世間一般で言う所の美人局つつもたせらしい。

「…………あんたに払えるような金は持ち合わせてないな、生憎と」

 まあ、文無しだからしょうがないなのだが。

「ほう、今日の寝床は病院のベッドの上がお望みらしいなぁ……?」

 …………まあ、仕方ないか。

「とっとと払っときゃ良かったって、後悔するんだなっ!」

 男が殴りかかってくるのを、ひょいっとかわす。
 ついでに、軸足を軽く払ってやると男はやたら派手にこけた。
 あ、思いっきり鼻ぶつけたみたいだ。
 痛そうだな〜。

「テッ、テメェ!」

 叫んで起き上がろうとする男の、肩のあたりを軽く踏んでやる。

「ぐ、なっ……!?」

 じたばたと男がもがく。

「う、動けねぇ……、何しやがった、テメェ!」
「…………体硬いな、あんた」

 ちょっと踏み方にコツがあるだけなんだが、ここまで無力化するのも哀れなもんだ。

「足どけやがれ、このっ……!」
「…………五月蝿いな」

 そのままだと文句が多そうなので、黙らせるために少し、捻りを加えてみる。

「うっ、うぎゃあああぁぁぁっ!!??」

 そうとう痛かったのか、かなり大げさに叫ぶ。
 捻ったままだと五月蝿いので、戻す。

「テ、テメェ…………」
「…………ん〜、もう一回捻るか?」
「ぐ…………」
「…………さて、おねーさん。美味しい話ってのがなんなのか、まだ聞いてなかったんだけど」

 男を踏んずけたまま、成り行きを見守っていた女に話を振ると、おびえたようにびくりと反応して、
 …………そのまま回れ右して脱兎の如く逃げ出し、人にぶつかった。

「ちょっと!どい……て…………」

 女がぶつかったのは、先回りした俺だった。

「…………で、話の続きなんだけど」

 女の顔が恐怖に歪む。
 別段俺は酷い事するつもりは無いんだが。
 ただ、訊くだけだ。

「…………で、美味しい話って?」

 女は口をパクパクとさせている。

「…………で?」
「あう、あう……」

 もう一度聞いてみたが、やっぱり女は口をパクパクとさせている。

「どいてろっ!」

 男の方が復活したらしい。女を無理矢理脇にどかせて、再度俺に殴りかかってくる。
 先ほどと同じく単調な大振りの一撃を軽くかわし、手を首筋に当ててやる。

「う、が…………っ!?」

 見る見るうちに男の顔が蒼ざめていく。
 とりあえず意識を失わない程度に適度に頚動脈と気管支を締めたまま、俺は女の方を向く。

「…………で、美味しい話ってなんだっけ」

 腰が抜けたのか、壁にもたれてへなへなと座り込む女。

「…………ん〜、あれか、そういう話は種切れで、俺は無駄足踏みました、と」

 ビクリ、と女の表情が恐怖に歪む。

「…………で、すまなかったって、詫びとして俺に飯の一つでも奢ってさようなら、と綺麗に別れると。そういうことなんだな?」

 とりあえず、自分に都合のいいことでも言ってみる。
 なんとなくちらりと横目で見た男の顔は、だんだん紫色になっていっているようだった。

「え…………ええ、そう!そうなのよ!ご、ごめんなさいね、種切れで……」

 少々返答が壊れてるような気もするが、気にしないことにする。

「…………それじゃ、さっそく行こうか」

 

 またしばし後。
 俺は公園のベンチに座っていた。
 まだ夕飯時じゃないよな、の一言で、例の二人はすぐ近くで待っていたりする。
 時々こっそりどこかに行こうとするので、何処に行くか訪ねるとなんでもない、と慌てて戻ってきたりする。
 落ち着きのない連中だ。
 しばし。
 日も暮れる頃、美矢が公園に戻ってきた。なにやらとぼとぼと歩いている。

「…………おい、美矢」
「あ、翼」

 声をかけると、打って変わって元気そうにこっちにやってきた。

「…………手伝いは済んだのか?」
「う、うん、おばさん喜んでたよ」
「…………そうか。なんかヘマして迷惑かけてるんじゃないかと思ってたぞ」
「ボクちゃんとやったもん!」

 ブー、と頬を膨らませる。

「……翼は、ちゃんとご飯食べたの?」
「…………大丈夫だ。こっちの二人がなんでも奢ってくれるってさ。お前も来るか?」
「え……ボ、ボクはいいよ、おばさんに食べさせてもらったから……」

 ぐ〜。

 腹の虫は正直者のようだった。

「…………食い足りないなら遠慮すんな。皆で食うのが美味いんだろ?」
「……いいの?」
「…………遠慮するなっつったろ。何か食いたいもんは有るか?何でも好きなもん頼んでみろ」

 しばし思案する美矢。

「じゃあね、じゃあね……カツサンド!」
「…………えらく安上がりだな、おい」

 予想外といえば予想外だった。

「カツサンドってね、こんびにで売ってるんだよ。すっごくおいしいんだよ!」

 なんだか聞いてて悲しい事を力説する美矢。

「…………別にそんな安物じゃなくても、寿司とかステーキとかでもいいんだぞ?」

 ちらりと2人組に視線を送る。
 冷や汗を浮かべていたように見えたが、気にしないことにする。

「なにそれ?」

 キョトン、とした表情で問い返してくる美矢。どうやら本気で知らないらしい。
 不憫だ…………。

「…………ハンバーグぐらいは解るよな?」
「ハンバーグなら知ってるよ。お弁当に入ってるちょっと大きめの肉団子だよね。ケチャップがかかってるの」

 コンビニ弁当のハンバーグの事だろうか。

「…………本当のハンバーグはな、もっとでかくて美味いんだぞ」
「そうなの?」

 一度、認識を改めさせてやる必要がありそうだ。

「…………決定。ハンバーグ食わせてやる」
「え、いいの?」

 美矢の瞳が輝く。

「……おう。好きなだけ食わせてやる」
「わーい、ハンバーグ!」

 喜んで辺りを子犬のように跳ね回る美矢。

「あ!でも、何か食べさせてもらうんだったら、お金払わなきゃいけないよね?お金持ってないから何か翼のお手伝いするのでも良い?」

 今時、えらく立派な心掛けの子供がいたもんである。

「…………気にするな。昼に俺を誘ってくれた礼だ」
「でも、あの時は翼、せっかく一緒にきてもらったのに……」

 ベンチから立ち上がる。

「…………こういうのをな、情けは人のためならず、ってんだ」
「…………?」

 首を傾げる美矢。

「…………人に親切にすると、いずれ自分にも親切が帰ってくるって意味だ、覚えとけ。それより、早く来ないとお前だけ置いてくぞ」

 言って、さっさと歩き出す。

「あ、待ってよ〜」

 

 結局、俺と美矢は各々2人前のハンバーグを平らげた。
 例の2人組は、なにやら財布を見て涙を流しつつ、水を飲んでいた。

 

「…………ふぅ」

 公園のベンチで、くつろぐ。
 すぐ横では、美矢が新聞紙を布団代わりに幸せそうに眠っていた。
 たらふく食って満腹になったら眠くなったらしい。
 公園の時計を眺める。
 …………そろそろ頃合か。
 俺は立ち上がると、夜の街を歩き始めた。

 

 路地裏を中心に、探索を続ける。
 探し物の痕跡すら見つからぬまま、時間が過ぎる。
 ふと、人の気配を感じて立ち止まる。

「翼〜、久しぶりやな」

 路地の角から現れたのは、見知った顔――――――佐原美那子だった。

「…………なんだ、お前か」
「『なんだ、お前か』はないやろ。人が必死こいてあんたのこと探しとったっちゅうのに」
「…………で、何か用か」
「あんたにええ情報持って来たったで。買うやろ?」

 美那子は、情報屋なんてものをやっている。
 顧客はフリーの能力者。例えば、俺。

「…………文無しだ」
「なんや、文無しかいな……ま、ええわ。今回はサービスしといたる」
「…………裕福そうだな。組織ヴァルハラ相手に荒稼ぎしてるみたいだし」

 ビクリ、と身を強張らせる美那子。

「……ま、まぁ、それはこっちに置いといて、と」

 定番の横に物を置いておくジェスチャー。

「急ぐ話やし、本題に入るで。
 ――――――ここの近くの街に、1ヶ月ほど前にゲートから魔獣が出たんや。けど、こいつが特殊な奴でな。亜人型か亜獣型で、人を襲わん、戦闘能力の低い温厚なタイプらしい。ゲートの痕跡は有ったけど、エーテルの波動が弱すぎて感知するんも難しいっちゅう事、今日に至るまでそれらしい姿を見かけんかったいう事、人的被害が皆無いう事からそういう推測になっとる。普通の人間か動物のフリして暮らしとる可能性が高いっちゅうこっちゃな。」

 そこで一端言葉を切る。

「で、こっからが重要やけど…………ニブルヘイムの連中がそいつに目ぇ付けたらしいんや」

 すぅっと、俺の身体の温度が下がっていくのを感じる。

「来宮淳一郎とかいう奴でな。どっかの企業とつるんで、その魔獣をとっ捕まえる算段しとる。戦闘能力の低い魔獣やったら研究材料として最適やし…………万が一使えんとしても、ニブルヘイムの奴やったら取り込んで自分の力にできるってな。ヴァルハラもミッドガルドも捕獲するつもりで動いとるらしいで。ま、そっちならニブルヘイムみたいな酷い事にゃならんと思うけど」
「殺すか、捕まえて監禁しておくか…………実験動物よりはましだな」
「ははは……もちっと温厚な処置やと思うけどな。で、その魔獣っちゅうのが実はな……」
「知ってる」

 答える。そう、知っている。

「さよか」

 美那子は肩をすくめて見せる。

「ついでに言うといたるけど、この辺でそれ以外のゲートは開いてへんし、しばらくは開く気配も無いで」
「そうか」
「さて、情報はこれで全部や。細かい事はこのメモに書いといた。…………どう動く、翼?」
「俺のやる事は決まっているさ」

 メモを受け取り、背を向けて歩き出す。

「…………うちとしてはな」

 背中に声がかかる。

「あんたがその子保護しといてくれるんが一番ええと思うんやけどな」

 俺は答えず、そのまま公園へと向かって歩いていった。

 

 公園に戻ると、美矢は出かける前と同様に寝こけていた。
 そして…………。

「そんなところに隠れて何をしている」

 人間大の気配は13。
 俺の問い掛けに、近くの草叢がガサリと動く。
 12個の影が、いっせいに行動を開始する。
 全身を黒い特殊スーツか何かで包んだ、完全武装の一個中隊。
 狙いはこちらではなく、美矢。
 俺と美矢との距離は約50m、連中と美矢との距離は20m程。

「…………ん……ぅん……?」

 近づく気配に目を覚ます美矢。
 一人が美矢を抱え上げようとし――――――刹那、一気に踏み込んだ俺の拳がそいつを吹き飛ばす。

「完全武装で餓鬼をさらってこうとする全身タイツの集団…………怪しさ大爆発だな」

 連中にどよめきが走る。
 …………図星を突かれたからではないだろうが。

「ふぁぁ…………あれ?翼、どうしたの…………?」

 寝ぼけている美矢は無視。

「…………くっくっく。まさか他の能力者がもう目をつけていたとは思いませんでしたよ」

 少し離れた場所から声がする。残っていたもう一つの気配の主。
 さっぱりとしたビジネスマン風の男。
 ただし、眼鏡の奥の瞳が他の外見が与える印象全てを裏切っているが。

「さて…………その子供、おとなしくこちらに渡していただけませんかな?争い事は嫌いなのですよ」

 そんな事を言って来る。
 争うのが嫌いだというのは本当だろう。
 奴らが好きなのは『殺戮』なのだから。

「だから、名前も名乗らんそんな怪しさ大爆発の連中の親玉の言う事を素直に聞くと思うか?」
「…………そうですか、残念です」

 くいっと眼鏡を指で直しながら、ちっとも残念に聞こえない声でそう呟く。

「ねえ翼、この人たち誰?」

 ぽけぽけとした口調で問い掛けてくる美矢は無視。
 …………ある意味こいつは大物かもしれない。

「あなた達には能力者の相手は荷が重い。目標を確保して下がりなさい」

 後の連中にそう指示を出す。

「ふぅん…………俺と戦うつもりか」
「そうなりますね。まぁ一応名乗っておくとしますか。私は来宮淳一郎。覚えておきなさい。冥土の土産にね」
「興味ないな」

 来宮はつまらない物でも見るかのようにこちらを眺めたあと、

「…………アルカイゲル」

 ガスッ!

 奴がそう呟くと同時に、俺の身体を衝撃が襲った。
 数本の木をなぎ倒し、ようやく腹部から背中にかけて強い痛みを認識する。

「グッ…………」
「翼…………!」

 いきなり吹き飛ばされた俺の方に駆け寄ろうとする美矢を、連中が取り囲む。

「いやだっ……!はなしてよっ……!」

 暴れる美矢。その際に、帽子が脱げて地面に落ちる。
 美矢の頭には、明らかに人間のものではないものが生えていた。
 犬科の獣の耳。

「だめっ……!」

 帽子に手を伸ばす美矢。
 その目の前で、来宮が帽子を踏みにじる。

「なるほど、獣人型ですか。耳さえ隠しておけば人間と変わらない、と。ふん、ケダモノの考えそうな事ですね」

 ビクリ、と震える美矢。

「まぁ、実験材料にはちょうど良いでしょう。せいぜい解剖する時期が早まらないよう生命力は強靭である事を願いますか」

 ようやく痛みが引き、立ち上がる。
 が。
 それを待っていたかのように、2撃目が襲ってきた。
 またも吹き飛ばされる俺。その前に、それを視線が捉えた。
 衝撃の正体は、奇妙にねじれた四肢を持った獣だった。

「おや……まだいたのですか。さっさと逃げればいいものを」
「翼っ…………!!にげてっ……!!!」

 …………逃げて、か。

「こんな雑魚にいつまでも構っていられません。引き上げますよ」

 そんな声を最後に、辺りは静まり返る。

 

 しばらく倒れたまま、全身を知覚していく。
 いつもの『感覚』が、ようやく戻ってくる。
 再び立ち上がったときには、もう誰もいなかった。
 美那子から受け取ったメモを開き、歩き出す。

 

 ボクが物心ついたとき、もうそれはあった。
 普通の人とは違う耳。
 初めてボクを見た人は、ボクをムリヤリ捕まえようとした。
 あわてて逃げ出した。
 おばあさんは、バケモノ!とこわがって逃げていった。
 子供は、バケモノたいじだ、と言って石を投げてきた。
 ボクは帽子で耳をかくした。
 こわがって逃げていったり、捕まえようとする人はいなくなった。

 

 お腹が空いたので、たくさん食べ物が並んでいる家の近くにやってきた。
 やっぱり、勝手に取っていったらこの家の人は困ってしまうだろうか。
 でも、たくさんあるから、ひとつだけならもらっても良いだろうか?
 しばらく見ていると、人が食べ物を手にして、家の人に何かを渡した後に持っていった。
 他の人たちもみんな同じようなものを渡して、それから食べ物を持っていった。
 あれを渡したらいいんだ。
 ひとりだけ、あれを渡さずに食べ物を持っていこうとした人は、追いかけられて捕まってしまった。
 そのあと、青い服を着た人がやってきて手に何かをつけて連れて行ってしまった。
 あれを渡さないと、どこかに連れて行かれてしまうみたいだった。
 でもあれはどうやったら手に入るんだろう?
 夕方になって、家で食べ物を並べたりあれを受け取ったりしていた人が、家の奥から出てきた人に、オキュウキンだよ、と茶色い包みを渡された。
 その人が中を確かめると、あれが入っていた。
 この家の人は、食べ物を人に渡す代わりにあれをもらって、食べ物を渡す仕事をしていた人にそれをあげるらしい。
 ボクも仕事をしたらあれをもらえるんだろうか。


 1ヶ月が経って、ボクもいろんな事を覚えた。
 公園で新聞紙にくるまって寝て、いろんなお店のお手伝いをする代わりにご飯を食べさせてもらっていた。

 

 ある日、翼に会った。
 翼は、ボクみたいに公園のベンチで寝ていた。
 ご飯も食べていなかった。
 ボクと同じ。
 だから、ボクは翼と一緒に八百屋のおばさんのところに行った。
 でも、八百屋のおばさんに二人も来ても困る、と言われてしまった。
 翼は、怒りもせずにボクを働かせてくれるように言って、どこかへ行ってしまった。
 がんばっておばさんたちの手伝いをした。
 お手伝いが終わって。
 おばさんがご飯の前にお風呂に入ってきなさいと言ってきた。
 お風呂は……帽子を脱がないといけないから、困る。
 ボクが困っていると、おばさんは帽子だってこんなに汚れちゃって、と言いながら手を伸ばしてきた。
 ボクがとっさに逃げるよりも早く、おばさんが帽子をつかんでしまう。
 ボクの耳が、ゆれる。
 目を見開くおばさんの手から帽子をひったくって、ボクは逃げ出した。

 

 公園に戻ると、翼がいた。
 翼は、ボクにハンバーグを食べさせてくれた。
 ボクは翼に迷惑をかけたのに。
 翼は、気にするなって言った。
 翼に食べさせてもらったハンバーグは、今まで食べたものの中でも一番おいしかった。

 

 その夜。寝ていると、変な人たちがやってきた。
 ボクを捕まえにきた人たち。
 翼が、ボクを守ってくれようとした。
 連れて行かれるのは怖かった。でも、翼が傷つくのはもっと嫌だった。
 だから、翼に逃げて欲しかった。
 ボクは翼に何もできていない。
 優しい翼が、僕のために傷ついてほしくなかった。
 翼に、ボクの耳を見られた。
 翼は、どう思ったんだろう。
 ボクの事、嫌いになったかもしれない。
 それはとても悲しいけど、そうなってくれたらもう、翼があいつらに傷つけられる事もなくなる…………。

 

 とても大きな音がして、ボクのユメはそこで終わった。

 

 ――――――目を閉じると、暗い情景が浮かぶ。
 もはや記憶から削り取られ、それがなんであるかわからない――――――しかし明瞭なイメージが、ただ強烈な罪の意識と共に現れては消える。
 俺は、それをもはや何も感じる事のない頭に、ゆっくりと刻んでいく。
 もう何度目になるか知れない、己の罪の確認。
 感慨は無い。後悔も無い。
 ただ、罪を認識する。
 守れず、ただ終わらせた罪を。
 ――――――刀身に映る、もはや自力では思い出せない己が過去を。

 

「何が起こったっ!!」

 ビルの地下最下層のフロアを改造して作られた大広間に、来宮の叫び声が響き渡る。

「な、何者かの襲撃を受けた模様!被害は不明!」

 完全には状況を把握できていないのか、報告する者も戸惑っている。
 なにしろ、突如轟音と共に地上との連絡が途絶えたのだから。
 侵入者対策として、各階を繋ぐ階段はそれぞれ離れた場所に設置されている。
 すなわち、全ての階を突破しなければこの最下層にはたどり着けないわけだが…………。

「B班応答しろ、B班!…………駄目です、地下1階との連絡、途絶えました!」

 続々と入るのは、その各階が制圧され、断絶されていく現状。
 このビルの地下には、エレベーターはない。

「来宮君!何が起こっているのかね!」

 来宮に怒声を浴びせる老人は、このビルのオーナー――――――須藤重三郎。来宮のクライアントだった。
 能力者、そして魔獣を研究することでその力を手にし、あわよくば世界を牛耳ろうと考えている男。

「侵入者です。おそらくはヴァルハラあたりの能力者。各階を制圧しながらこちらに向かっているようですね。おそらく狙いは檻の中のそれでしょう」

 ちらりと見た先には、檻の中に閉じ込められている美矢がいた。

「解っているなら早く侵入者を排除して来い!何のために大金を積んでいると思っているんだ!?」

(俗物が…………)

 来宮は内心でそう吐き捨てると、侵入者を迎撃するために上へと向かおうとする。そのとき。

「…………す、全ての班との連絡が途絶えました…………」

 それは、侵入者が最下層に到達した事の報告だった。

「ちっ…………所詮生身の人間ごときでは役に立たんか……!」

 かつ、かつ、と。音を立てながら階段から現れたのは。

「…………諦めの悪い餓鬼だ。お灸が足りなかったようですね…………!」

 来宮が顔を歪める。

「つば、さ…………?」

 まだ意識が覚醒しきっていない美矢が、呟く。
 翼。ただし、先刻までとは違う――――――冷たい、鋭利な刃物のような雰囲気を纏わせているが。

「貴様のような人間風情しか相手にできないCクラス身体強化能力者[ブーステッド]が、私に勝てるとでも思っているのか?」

 翼は、答えない。

「愛想の無い餓鬼め…………アルカイゲル!」

 来宮が、能力を発現させる。
 半瞬で実体化した、ねじれた四肢を持った魔獣――――――アルカイゲルが、翼へと襲い掛かる。

「柄は、既に握られた」

 奇妙な呟きとともに、翼がアルカイゲルに向かって腕を振るう。
 その一振りで、アルカイゲルはあっさりと吹き飛ばされる。
 それに巻き込まれた報告係は、グゲ、と蛙の潰されるような音と共に退場した。

独立機動型能力者[インディペンデント・モービル]、来宮淳一郎、ニブルヘイムに所属。――――――おまえを、破壊しに来た」

 淡々と、翼は宣告した。

「そうか……貴様、ニブルヘイム狩りの四条翼だな?」

 愉快そうに来宮が呟く。
 翼は答えない。

「だんまりか。しかし、貴様も私のことを少しは調べたのなら知っているだろう、独立機動型は、自在にそれを具現化できるということを!」

 倒れていたアルカイゲルの姿が掻き消え、翼のすぐそばに再構築される。
翼に向けて、再びアルカイゲルの剛腕が振り下ろされる。

「邪魔だ」

 アルカイゲルの腕が、翼のかざした手の前に形成された闇色の何かによって、あっさりと受け止められる。

善なるものも――――――
 邪なるものも――――――
 正しきものも――――――
 悪しきものも――――――
 昏き刃の一撃にてすべてを等しく葬り去らん
 我が、願うままに


 詠うように。呪にのせて、魔剣は、鞘から抜き放たれる。

「断ち切れ、魔剣ダインスレイブ」

――――――音も無く。否、音さえも諸共に――――――

 アルカイゲルは、巨大な何かに叩き潰されたように、唐竹割に叩き切られていた。
 中央部を失った左右の胴体が、構成力をなくし虚空に消えていく。

「チッ、やはりただの身体強化能力者ではなかったか。しかし、忘れていませんか?独立機動型のもう一つの特徴――――――何度でも、再生できるということを!」

 そして、来宮がアルカイゲルを再構築しようとする。

「ばか、な…………私のアルカイゲルが再生しないだと――――――!?」

 何も、起こらなかった。

「能力者を倒す条件は2つ。肉体の完全破壊による死の概念の付与、もしくはエーテルコアを直接破壊する事。…………独立機動型は、具現化させたほうにコアがあるんだったっけか」
「まさか、まさか――――――エーテルコアを破壊した、とでも言うのか!?」

 ――――――エーテルコアとは、能力者や魔獣にとって、己が能力の中心となるもの。
 物理的な手段では決して破壊する事はできず、破壊する方法は他の強力な概念――――――そう。例えば肉体の完全破壊による死の概念等によってのみ。
 Aクラス以上の能力者でも、エーテルコアを破壊可能な者など一握りしかいない。
 …………すなわち、エーテルコアを破壊できるということは、Aクラス以上の能力者ということ。

「何故だ――――――何故、それほどの力を持ちながら何処にも属さず、野心を抱こうともしない!?」
「興味ないな、そんなもの」

 来宮の問い掛けに、翼は全く表情を変えずに答える。

「何故、ニブルヘイムに敵対する――――――!正義感か!?それとも復讐でもしようというのか!?」
「興味ない。ただ、破壊すべき存在がそうだっただけの話だ。おまえのように。
俺は、人間で無くなった存在を破壊する。ただ、それだけだ」

 そう答えて、右手を掲げる。
 刹那。
 解き放たれた重圧の刃は、来宮淳一郎という存在を完全に破壊し尽くした。

 

 翼が歩を進めると、その老人は哀れなまでに怯える。
 そして、何を思ったか、檻の中から呆然としていた美矢を引きずり出すと、羽交い絞めにし、こめかみに拳銃を突きつける。

「くっ、来るなっ!さもないとこいつを撃ち殺すぞ!」

 翼が足を止める。

「生憎と、そいつを殺すのは俺だ。おまえじゃない」

 そう呟くと、再び近づいていく。

「来るな、来るんじゃない!そ、そうだ、取引をしよう!な、何が欲しい?金か?」

 そんな老人の声など無視して、ゆっくりと近づいていく。

「翼――――――ボクを、殺すの?」

 美矢が、呟く。

「黙っていろ、この餓鬼――――――」
「いいよ、翼になら。殺されてもいいよ」

 (――――――きっと、人間じゃないボクは殺されなきゃいけない存在だから。翼がそう決めたなら、おとなしく殺されるのがきっと恩返しになるのだろうから――――――。)

「黙れと言っているんだ、このバケモノが――――――!」

 パニックを起こした須藤が、美矢を捕まえた腕に力をこめ、拳銃を押し付ける。

「おまえが黙っていろ」

 そんな声が聞こえた時には、美矢は既に翼に抱きかかえられていて。

「ぎゃああああぁぁぁぁぁっ!!??」

 老人は、ひしゃげた腕を抱えてのた打ち回った。

「安心しろ、すぐに何も感じなくなる」

 翼が右腕を振り下ろすと、老人は永久に沈黙した。

 

「翼…………」

 地面に降ろされた美矢に向かって、翼は腕を振り上げる。
 覚悟したように、美矢は目を瞑る。

 ボスッ。

「え…………?」

 翼は美矢の頭に叩きつけるようにして、帽子をかぶせていた。

「…………バ〜カ。おまえみたいな天然記念物級のお人好し、もったいなくて殺せるか」

 いつのまにか、気だるげな表情に戻っている翼。

「え……え…………?ボク、人間じゃないんだよ…………?」
「…………知ってたさ。別にどうでもいいことだが。おまえは、俺がおまえを殺すべきだと思った時に俺自身の手で殺してやる。だから、それまでおまえは誰にも殺させない」

 戸惑う美矢の頭を帽子の上からくしゃくしゃにしながら、そう告げる翼。

「えっと、それじゃ…………ボクは、生きていてもいいの……?」
「…………さっさと出るぞ。最後の仕上げも残ってるしな」
「…………うんっ!」

 

「ビル倒壊、死傷者多数。ビルのオーナーの須藤重三郎氏も行方不明で、下敷きになってる可能性が高い、と。
派手にやったわね、あの子」

 七瀬は、テレビのニュース番組を見ながら呟いた。

「まさかうちもここまでやるとは思うてへんかったわ」

 なにやら嬉しそうに、美那子が呟く。
 昨夜翼が襲撃したビルは、基盤から完全破壊され、倒壊した。
 翌朝一番のニュースに取り上げられ、突然の崩壊の原因について、様々な議論がなされていた。
 手抜き工事云々、地盤がどうの。
 もちろん、真相は闇の中。

「ま、ここまでされとるとむしろ姐さんも後始末楽になるんとちゃう?」
「…………そう思うなら代わってくれる?」

 山積みになった書類を1枚1枚片付けながら、笑顔で言う七瀬。
 目は笑っていないが。

「…………遠慮しとくわ。ま、今回姐さんの思うとった通りに運んだ結果やねんから、がんばってえな」
「そうね。能力者を狙っていた須藤も、ニブルヘイムの来宮も死んで。例の子はあの子の保護下にあってヴァルハラもうちミッドガルドも手が出せない。まさに理想通り、と言った所かしら」
「しっかし姐さん、ずいぶん翼に肩入れしとるなぁ」
「それを言うならあなたもでしょう?」
「うちは金儲けの手段に使うとるだけや」
「そのわりには、タダで情報を提供したりしてるわね」

 少しだけ楽しむような口調の七瀬。

「も、文無しから金は取れへんやろ。ヴァルハラからでも今回の件ネタにして金もらえばええねんから」

 なにやら横を向きながら言う美那子。
 少しだけ、頬が紅い。

「そうね…………。それじゃ、私からも出しておきましょうか、今回あなたの働きに感謝して」

 すっと、分厚い茶封筒を差し出す七瀬。

「…………あかん、それはもらわれへん。姐さんからもらうんはルール違反や。うちは、欲しい額を欲しい相手からもらうねん。うちは勝手に姐さんの手伝いしとるだけや。姐さんには請求してへんのやから、これもらう訳にはいかへん」
「妙なところで頑固なのね。…………それじゃ、いくら欲しい?」
「そら、もらえるんならなんぼでも…………って、何言わすねん!」

 思わず即答してしまう美那子に七瀬はにっこりと笑って。

「それじゃ、これ全部ね」

 ポン、と手渡された封筒を、渋々受け取る美那子。

「…………姐さんも相変わらず人が悪いっちゅうか救い難いお人好しっちゅうか…………」
「人間、そう簡単には変わらないわよ。そう、簡単には、ね」

 そう言って、七瀬はどこか自嘲めいた笑いを浮かべる。

「…………なあ姐さん。話戻すけどな、なんで翼にそないに肩入れしとるん?」

 美那子の言葉に、七瀬の表情が蔭る。

「…………罪滅ぼし、かしらね、あの子への。あの時、私はもっと何かできたはずなのよ、あの子のために」
「姐さんは責任感強すぎるねん。もちっと気ぃ抜いて行かんと潰れてまうで」
「そうかもね…………。でも、性分だから」

 そう言って、七瀬は微笑んだ。

「誰もが、人間らしく生きられるように…………そのためなら、多少の苦労は厭わないわよ」
「…………あかんなあ、姐さんにはかなわへん」

 

「翼、朝だよっ!起きて起きて!」

 パタパタと、美矢が俺を起こそうとする。
 別に眠いわけではないが。とえいあえず、五月蝿いので目を覚ます。
 起き上がると、目の前で美矢が笑っている。

「おはよう、翼っ!」
「…………おはよう」

 枕代わりにしていた荷物を背負い、歩き出す。

「あれ?翼、何処いくの?」
「…………ここにもう用はないからな。他所に行く」
「そうなんだ、ちょっと待っててね」

 美矢はパタパタとあわただしく荷物をまとめる。

「よいしょっと。準備かんりょー!」

 ついてくる気らしい。

「…………まあ、袖触れ合うも他生の縁と言うしな……」

 旅の道連れができてしまった。

「それじゃ、出発しんこー!」

 まぁ、それもいいだろう。

 

「――――――以上で、この件に関する報告を終わります。…………いかがなさいますか、例の少年を」
「現状維持。しばらく自由に泳がせておきましょう」
「了解しました」
「…………それより美那子ちゃん。普段話しかたでいいわよ」
「あ、さいでっか」
「似合わないしゃべり方されると背中が痒くなるのよ」
「ははは…………ほな、うちはこれで失礼させていただきますわ」
「お金はいつものところでいいわね」
「助かります」
「七瀬によろしくね、美那子ちゃん」

 苦笑しながら、美那子が部屋を出て行く。

神殺しの魔剣ダインスレイブ、か」

 ヴァルハラの長は、楽しげに呟いた。

 



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